ゆらゆら帝国は日本のスリーピースバンドでした。
彼らの録音音源は、一貫して「音色のデザイン」をテーマとしたスタイルが取られました。
現代では比較的扱いの難しいアナログ機材中心の積極的な音の加工や組み合わせ、発掘が試され、その試行錯誤の結果によるバラエティ豊かなトーンによるスカスカな録音作品が残されています。
彼らのそうしたスタジオ音源制作の特徴に「奏者自ら消えること」が積極的に制作方法として取り入れていたことが挙げられます。
性別の違う無名ボーカルに代わりに歌わせる、ライブで使用する楽器の代わりに別の楽器を入れる、ライブのバスドラムのトラックだけ抜き出して使う、機械に演奏させる等、様々な工夫がみられます。
この辺を見ていると、ゆらゆら帝国は積極的なサンプリング世代とも言えますね。さらに良い音楽を作るパーツとしての自分たち、という位置づけだったそうです。
この辺を見ていると、ゆらゆら帝国は積極的なサンプリング世代とも言えますね。さらに良い音楽を作るパーツとしての自分たち、という位置づけだったそうです。
この頃のインタビューを読んでもわかりますが、彼らはスタジオ作品に「自己の肉体の消失」を要素として含ませるチャレンジをしていました。良い録音作品を作るときに、自分たちのパーソナリティが無闇に入り込むことを拒んでいました。その要素は「オーディエンスからはもちろん、奏者である自分たちからもある程度距離のある録音作品を作り出したい」という意欲から取り入れられた要素でもありました。(その後、アルバム『空洞です』でその意欲は爆発するのですが)
ライブは肉体感
一方で彼らのライブは、積極的に自らの肉体感を出すことがテーマとなっていました。
ステージ上で彼らは一般的な3ピースロックバンドの編成で演奏を見せます。
そこにはコンガの音も、かわいらしい女性コーラスも、歪んだ尺八の音も、メロトロンの音も、クリック音をファズ加工した音もありません。
楽器のトーンの種類がスタジオ音源と比べて格段に限られ、三人とPAだけのさらにスカスカの音が鳴らされていました。
彼らにとって音源とライブは明確に区別され、「完璧に作って残す作品」とまったく別の、「そこだけの見世物」としてのステージがありました。
カセットの音が好きな坂本慎太郎は、恵比寿でのライブ後、自分たちのその日録ったライブ音源をふとラジカセにつっこみ、コンプレッサーをかけてみました。
バンドがライブを録ってそのまま音源にして売っている、いわゆるライブ盤と呼ばれるものを普段あえては聴かない彼ですが、偶然にも良く潰れた音に感銘を受け、各パートごとへエフェクト処理、編集を施して、彼はこれなら録音作品として世に出してもいいと思ったそうです。つまり上記の、ライブトラックをパーツとして使った作品作りの延長としてこの作品は生まれました。
全曲紹介
このCDをかけるとまず「ふぁいふぉー」と坂本の叫び声が聞こえ、コンプレッサーによりさらに増幅された”午前3時のファズギター“のギター・ソロからスタートします。
一向に止まらず激しい音を出し続けているギターの裏で、ドラムとベースだけ、滑るように別な曲へ移行していきます。
そのままギターのフィードバックが続き、ボーカルエコーの効いた”ハラペコのガキの歌“へ。
アウトロで「あー」という平坦な声が数秒持続し、そのままスタジオ盤はsuicide的テクノパンクだった曲が、一変してガレージロック化した”誰だっけ“へ。
そしてボーカルとドラムにエフェクトが編集追加された、”侵入“に入ります。
ドラムの音の端っこを拾って加工して作ったようなコロコロ……という音、スネアにかけたディレイのスピードを増加させながら流れる音が終わり、ギターはフィードバックのまま”無い!!“のイントロへ。(この曲はNeu!のパロディ)
スタジオ盤ではキーボードの部分で奏でられる部分をオクターブ下げてベースが弾き、変拍子ギターリフに合わせて四拍子の歌が乗り、さらに延々とアコースティックギターがライン取りされたものにディレイが重なるアウトロへの導入ではなく、シャウトにあわせてファズギターソロ、というアレンジのアウトロがスタート。ラストはファズでコードを弾いている上に、スタジオで追加したトレモロ加工という、ライブ音源を編集したこのアルバムならではの面白い音像が作られています。
そのまま、ライブハウスで観客側で録ったブートレグを想起させるような音像加工がされ、サーッという音が終始流れる、”バンドをやってる友達“がスタート。
スタジオ盤では女性ボーカル、コンガとベース、木琴、間奏だけ入ってくるギターの音が特徴ですが、このバージョンでは完全に男のスカスカスリーピースバンドサウンドが流れます。
拍手が入り、これもスタジオ盤では女性ボーカルで収録されていた”恋がしたい“へ。
ギターはスタジオ盤のワウギターサウンドとは打って変わって、コードアルペジオを弾きながら坂本が歌っています。
スタジオ盤のサックス等もピアノもありません。間奏の管楽器ソロも、テープエコーをかけたギターソロに変わっています。
そして、祭りばやしのようなリズムの”夜行性の生き物3匹“がスタート。スタジオ盤のカラっとしたデュオソニックのギタートーンは、太く歪んだSGギターサウンドに代わり、ギターソロはアルバムで聴けないファズによる更に太い音が鳴らされます。
そしてツイスト・アンド・シャウトのオマージュを感じる、”貫通“は、アルバムでは単音だったギターリフが、コードで鳴らされ、毎回のギターソロもハイの効いたファズではなく、太いファズサウンドに変わっています。この”貫通”の大音量のライブ感を全面に出した間奏が始まった瞬間、前置きもなしに、突然ラジカセのカチャカチャっとボタンを押した音、「通りの車の音がうっすら聞こえている、静かな家の中」に場面は移動します。
数秒後、急激な爆音ファズギターと、縦横無尽のベース&コンプレッサードラムノイズが流れ始め、急激な音量差、編集作業を利用したアレンジがなされます。
この曲のノイジーな間奏は、アルバム音源の鈴やコロコロ打楽器系のサウンドでななく、そうしたメタ的なライブ音源加工アレンジ、パート全員一体となった轟音アレンジへと変貌を遂げています。
この轟音ソングが終わると、アルバム版では小さな女の子が無理やり歌わせられているような”ボタンがひとつ“の野郎三人バージョンがスタート。もちろんアウトロのつたないピアノもなく、ソロもなく、とてもシンプルな弾き語り系アレンジとなっています。
ラストは熱唱バラード、”星になれた“。
スタジオ盤に比べ、全編ベースがメロディックに変化しており、ピアノ、口笛、女性コーラスはなく、基本的にはさまざまな音を抜いたアレンジになっています。アウトロはピアノの鳴り響くアレンジではなく、ギターがかき鳴らされ、メロディックな泣きメロファズベースソロ乗るアレンジ(ここは筆舌に尽くしがたい亀川千代氏の名演!)に変化しています。アウトロが終わりに近づくにつれ、コンプレッサーがドラムに強くかけられていき、最後は爆発音のようなドラムと、一人だけ鳴らされ続けるギターでこのアルバムは終わります。
ライブ演奏を素材として使ったギーグ的な録音作品
こうしたライブ編集盤ならではの工夫によって、”な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い”は単なるライブアルバムを録音しただけの作品から一歩すすんで、スタジオワークスとしてのおもしろさを生んでいます。
彼らは、音源では自分たちが素材(道具)になり、ライブは素材が生のまま出るという「録音物とライブ」の明確な区別を図り、そして「ライブの演奏を素材にした、録音物を作る」というコンセプトで、この一枚のアルバムを作り出したのです。
彼らは、音源では自分たちが素材(道具)になり、ライブは素材が生のまま出るという「録音物とライブ」の明確な区別を図り、そして「ライブの演奏を素材にした、録音物を作る」というコンセプトで、この一枚のアルバムを作り出したのです。
価格がめちゃ安い理由
このアルバム、アルバムとしては異常に安いんです。それはなぜでしょうか?
理由は坂本慎太郎によるファンの財布への配慮です。
「”ゆらゆら帝国のめまい”と”ゆらゆら帝国のしびれ”を同時発売し、ファンにたくさんお金を使わせてしまったので安く販売したい」という坂本慎太郎の提案に対して、レコード会社の社長は破格の1050円で快諾してくれたようです。
理由は坂本慎太郎によるファンの財布への配慮です。
「”ゆらゆら帝国のめまい”と”ゆらゆら帝国のしびれ”を同時発売し、ファンにたくさんお金を使わせてしまったので安く販売したい」という坂本慎太郎の提案に対して、レコード会社の社長は破格の1050円で快諾してくれたようです。
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