あなたの知らないもとちんマリオの世界

さぁ。もとちんマリオの世界を覗こう

あなたは、もとちんマリオをご存知だろうか?

そもそも、コロコロコミックしか読まなかった人は、もとちんマリオに出会うことは殆ど無かっただろう。

もとちんマリオとは、コロコロコミックではなく
「コミックボンボン」に連載されていた「マリオ」の漫画である。

ドきつい描写、時事ネタ、放送コードギリギリ表現が目白押しである。コロコロコミックの沢田ユキオのマリオよりシュールで凶悪なボケが多い。

 

そんなもとちんマリオの世界の一部を抜粋して紹介する。

うんばらほ

 

「うんばらほ」

当たり前だが、こんな物騒なキャラクタは本家Nintendoのゲームには登場しない。
LSDでもやるか、相当な”脳疲労“を蓄積させない限り、このキャラクターの造形は出てこないのではないかと思われる。


しかし、もとちんマリオのスゴイところはこのキャラクターが一コマだけ登場する点だ。
しかも、迷路の途中に唐突に出現して、以後言及はない。

唐突な同性愛の描写

唐突に敵キャラクターがホモであることを明かす。そして戦闘に入る。
そして、コマ欄外には「おかま」と「ホモ」といった同性愛用語の解説が載っている。
そして「プロレスラーはみんなホモ」であると偏った自説を述べる。
マリオは全国のプロレスファンに向けた謝罪という「メタ発言」をする。

きわどい表現だ。

これが小学生向けの雑誌に載っていたのである。

特に字数が多いわけではないのに、一ページに多次元の情報が詰まっている。
これは過去にLGBTに対する偏見があったことを含有した、社会的な資料として保存されるべきだろう。
この部分だけでも、もとちんマリオは漫画表現としてかなり拡張した表現となっていることが分かるだろう。

洗脳された渡辺徹

洗脳された渡辺徹
洗脳された渡辺徹

このシーンは敵キャラクターをマリオが火で焼いた後の一コマである。

唐突に、現実世界の「渡辺トオル」が出てくる。

渡辺トオル
現在は闘病中の渡辺トオル氏

しかも、マリオが焼き殺した敵キャラクターからである。

その後、何事もなかったかのようにマリオは冒険を進める。

これは芸術映画と呼ばれる映画に似ている。
そうした映画は、一切の説明を省く。

一般的に芸術映画と呼ばれるものを経験する小学生は少数だろう。これも偏見かもしれないが。

貞操観念に対する挑戦

この漫画のマリオはかなりモテる方である。

そして、二番目に好きな女の子に対してキスをする。
それも、結婚指輪を持ってプロポーズしようとするライバルの目の前で。

このマリオ、うる星やつらの諸星あたる並の貞操観念である。

一途だなんてくそくらえなのである。
目的を達成するためには、二番目の女の子ともキスをするのである。

 

きつい セクハラ描写

唾つけたっと
唾つけたっと

これはどう考えても、陵辱シーンだ。

ワリオの唾は臭いだろう。
なんせ彼は山のようにニンニクを食べているのだから。

それをピーチ姫の顔につけるなんてとんでもない!

見捨てられたルイージと非道な兄

 

かわいそうなルイージ
かわいそうなルイージ

「ルイージを珍しがってるうちに上陸しちゃおう」

こんな発言ができるという天下のマリオさんは、誰がなんと言おうと非道、外道である。
このマリオは、人間のボーダーぎりぎり、瀬戸際に立っている
他者の一回こっきりの人生を犠牲にし、何らかの目的を達成しようとしている。

人間の「悪の」可能性を丁寧に描いている。

ナルシズムに浸るマリオ

その後のマリオの冒険を追いかけてみる。

死者を弔っているように見えて、結局、憐憫の対象は「僕」なのである。

やはり、このマリオはクズだ。泣きながら笑みすら浮かべている。
これは自らの境遇を憐れむときに出る笑顔である。
つまりナルシズムが極限に達した時に成立する表情だ。
他人を見殺しにしたことに対する後悔や罪悪感はどこにいったのだろうか。
このマリオ、太平洋戦争で若者を特攻させた上層部とパラレルである

一般的に、少年漫画の主人公をダーク・ヒーロー化するのは危険が伴う。

基本的に、少年漫画のヒーローは善の主体であり、勧善懲悪を遂行する方が子どもたちには受け入れられやすいのである。

しかし、もとちんマリオのマリオは違う。
クズである。
真剣にもとちんはクズを描いている

人間のナルシズムを最大限に発露させた瞬間を、マリオを題材に描いている。

僕はそんな「もとちんマリオ」が好きだ。

もしあなたがコロコロのマリオしか読まなかったというのであれば、それはそれで幸せな人生を歩んでいるのかもしれない。
僕はコロコロのマリオしか読まない子供のほうがきっと、子供らしい幼少期だっただろうと思う。
なぜかといえば、ボンボンのマリオを楽しむ子供は、少し大人びていて、胸の中に何かドロドロしたものを抱えていたように思えたからだ。
こうした信念は、僕の経験を総合して作った観念、つまり”単なる先入観”かもしれない。そして僕はその思い込みを訂正してくれる事実にまだ出会っていない。その訂正の日を待っている間に、偏見の入った箱はゆっくりと胸の内側の方へ隠れていってしまう。
だからもう今となっては、そうした思い込みの入った箱を胸のどこかから引っ張り出そうとしても、中身はカビ臭くなって、発酵してグチャグチャに原型をとどめていないかもしれない。
(それでも、信念というものは定期的に点検しておくほうがいいと思うんだけど)

 


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