山田花子への寄稿
下記は坂本慎太郎の発言ではないが、この文章を書くきっかけになった文章である。
二百年後には今生きてる人なんてもう誰も居ないもん、と強がって出かけたお通夜では、突然ことわりもなしに涙の馬鹿野郎がでしゃばって来て困ってしまいました。天国がほんとうにありますように。
「天国が本当にありますように」
ということは、天国が本当にあるとは完全には信じていないということである。それでも、天国がありますように、とその実在を願うことは両立する。むしろ、天国が存在しないと薄々感じていることこそが「天国の実在を願うこと」を補強するとも言えるだろう。
悲しみのない世界と天国
悲しみのない世界が あればいいのに
坂本慎太郎の照れ隠しとはいわゆる宗教的に想定される死後の楽園世界「天国」を抽象化して「悲しみのない世界」と表現するような表現方法である。
その世界が、あればいいのに、と願う。
これは無神論的であり、現実世界に天国のような楽園がないと思い知らされているからこそ、かえって宗教的な理想郷を追い求める人間を描いている。
ここで「天国があればいいのに」と書いてしまえば、坂本のスタイルからかなり離れた露骨な表現になってしまう。
よって彼は、「天国」とは言わず、それを「悲しみのない世界」と表現し、その楽園が「あればいいのに」と書く。
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