自己弁護も含まれるため、後ろ髪引かれる思いで問いたいところだが、例えば人間存在の矛盾や詩情というものを表した言葉は、クリアであり得るのだろうか。
つまり、詩や、文学作品はどう読んでも真である数学や科学の証明のようにクリアでありうるだろうか?
今まで、理解しやすい文章でありながら、自己存在を揺さぶるような文学に、クリアなものがあったためしがない。
「理解しやすい言葉」と、「クリアな説明」は天と地ほど違う。
やはり、心のなかに混乱そのものを生み出すようなものに、僕は強く惹かれる。
アゴタ・クリストフの三部作はその一つ。
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